のれんは時代が変わり、都市開発が進む中で街からその数は減りましたが、いまでも日本人にとってはただの布ではなく、店や企業が積み重ねた歴史や誇り、長年に渡り築かれた信用、それらの価値を示す象徴として息づいています。ブランドとしての「のれん」のれんを翻訳ソフトで英訳すると、「Goodwill」という言葉が出てきます。これは布ののれんとは違う「のれん代」という会計用語を指します。日本では商売を続ける中で築き上げられた信用や知名度などの無形財産を示す言葉を「のれん代」と言い、これは「のれん分け」という文化が由来となっています。「のれん分け」は江戸時代に生まれた制度で、商店に永年忠実に勤続した従業員を選び、商売の権利の一部を分け与えて独立さるというものです。のれん分けを許されたものは、その店の家紋とその物の名前が入ったのれんが与えられ同じ屋号で新たな店を出すことを許されます。しかし、当時は本家を絶対とした封建制度が徹底されており、同業の商売、本家と同じ業者・得意先との取引が禁じられる場合があるなどの厳しい制約がありました。その後、時代が進み明治時代の商業の自由化に伴いのれん分けの制約も緩和され、西洋文化を取り入れる中で、日本ののれん分け制度と欧米のフランチャイズの形態とが交じり合い、現在のチェーンやフランチャイズがつくられて行きました。前述の様に、「Goodwill」には、物質的・文化的な「のれん」を表す英語はありません。のれんを英語で説明をする際に「Shop curtain」などといった言葉が使われますが、これはあくまでのれんの一部の側面だけを捉えた表現であり、文化的・象徴的な意味合いを十分に伝えるものではないのです。日本独自に発展したのれんが持つ本質的な意味合いを伝えるためには、共通言語の正しい言葉が必要だと考えます。現代ののれんの在り方明治以降、都市の近代化や西洋化が進み、のれんは街から数が減りその意味合いも形骸化しつつありましたが、ここ近年のれんは再び注目され、新たな価値を見出されている兆しを感じます。従来は和の印象が強かったのれんですが、最近ではモダンな空間やカフェ、商業施設、ホテル、展示会場など様々な場所で使われるようになっています。私自身、さまざまな入口や空間に掛けるのれんを手がけてきましたが、それらの空間でのれんは違和感なく溶け込み、店先や空間をより引き立てています。一方で、のれんは日常的な存在の為、「当たり前」として意識の上を通過してしまうことも多くあります。しかし、改めてのれんに備わる文化についてお話をさせて頂くと、のれん文化について再認識し、関心を抱いて頂くことで街中でののれんに目が行くようになったという声を多く聞きます。これは、とても嬉しい反応であり、まだまだのれんの可能性を感じるところです。外から見たのれんその反面、日本では当たり前ののれんですが、他国から見るとユニークで非日常な文化なのです。言葉の伝来元となった中国でも日本の様なのれん文化は発展せず、その他のアジアでも道具としての布としてはモンゴルのゲルの入口にかけるものなどの類するものはあれど、日本の様なのれん文化はなく、もちろんヨーロッパでも同様です。その為、認知度は低く、前述のとおり適切な訳語はありません。しかし、「のれん文化」の認知度は低いのですが、実は海外でのれんは増えているのです。現在、日本食は世界的な人気であり、各国の都市で和食店や寿司店は増え続けています。そして、その入口の多くにはのれんを掲げているのです。その為、海外でものれんを目にする機会は増えており、その中で興味深いのは現地の住民が「のれん」という言葉は知らなくても、のれんが掛かっているお店を見ただけで「これは日本の店だ」と認識していることです。つまり、のれんは海外に於いて「日本の印」として機能しているのです。他の例としても、世界的に有名なIT企業や車両メーカー、グローバルなメディア企業が、日本で事業を展開する際に、オフィスや店舗でのれんを使いたいという要望を度々頂きます。これも同様に日本に拠点を構える際に、日本の文脈を空間に取り入れたいという意向の中で、日本らしい建具、またサインとしてのれんを採用して頂いています。これも、非日常な「日本の印」としてのれんを使われているのです。これからの、のれんのれんが再評価されているという兆しは感じるものの、そこにある文化は海外はもちろん、国内でもまだまだ伝わってはいません。のれんは単なるサインではなく、その根底には日本内外を明確に隔てず、行き来ができる「間(ま)」の文化があります。埃よけの道具から始まり、屋外広告として普及したのれん。その次のバージョンとしては一層のグローバル化が進む社会に於いて、のれんを知り、かけて、潜ることが日本文化の教養に触れるきっかけとなることを目指したいと考えます。のれんと密接な関わりを持つ家紋、景観を生んだ屋外広告としての変遷、江戸時代に世界有数の都市となった江戸文化、他国の技術を取り入れながら発展した工藝ーーのれん道では国内外の様々な文物とのれんを重ねることで、のれん文化を再考し、認識を広げることでのれん史の新たな道をつくる挑戦に取り組みます。そして、「Noren」が世界共通の言葉となることを目指します。参考図書:暖簾考/谷峰蔵守貞漫稿/京雀図説日本広告千年史 : 古代・中世・近世編/大伏肇見立ての手法/磯崎新東京織物問屋史考/白石孝中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。