のれんと家紋は共に発展し、江戸時代に最盛期を迎えました。一方で、少し視点を変えて西洋文化を見てみると、とても似た文化に「紋章」と「旗」があります。こちらも双方が対になっている文化であり、西洋の象徴とも言えます。ここでは、紋章と家紋を比較しながら、その差異や共通点をみてみます。西洋の紋章の起源西洋の紋章文化の起源は、家紋と同様に定かではありませんが、11世紀から12世紀にかけてヨーロッパ各地で貴族のシンボルとして生まれたとされています。その後、騎士が馬上試合や戦場で自分たちを識別する必要が出てきたことと、甲冑製造技の向上により紋章は広まりました。家紋と同じように、紋章も当初は貴族や騎士に限られたものであり、兜や鎧に目印として入れた実用的な識別記号という役割でした。ただし、家紋と大きく違うのは、家紋が「家」が持つものであるのに対し、紋章は「個人」が持つものであったということです。そして、紋章が使用される早い段階から旗に紋章は用いられました。旗は帰属を示す証として重要な役割を果たす媒体であり、時にはカトリック教会に於いて奇跡を呼ぶものとして宗教的な崇拝の対象にまでなりました。形状は主に三角旗や長い軍旗、垂直に垂らすバナーが主であり、この様式はイギリス・フランス・ドイツすべてに共通しています。引用元:紋章学辞典紋章の大衆化と普及12世紀から14世紀にかけて、ヨーロッパでは都市が発展し、市民階級が経済的・社会的に力を持つようになりました。これに伴い、商人や職人組合などの市民集団が自らの身分や組織の誇りを示すために紋章を使用し始めました。しかし、紋章が広く普及した一方で、不正利用を防ぐための規制も強化され、正式な届出をして紋章を持つことが必要になりました。これは大衆も自由に持つことができて届け出も不要だった家紋と対照的です。対して西洋の紋章は厳格な管理のもとにあり、特にイギリスでは貴族の権威を守るために、紋章を管理する紋章院も設置されました。しかし、時代を経た現代においてはその規制も大幅に緩和されています。イギリスでは依然として少々規制が残っていますが、フランスやドイツでは市民も商標として紋章を使うことができます。しかし、家紋がのれんに染め抜かれて現代でも店の印や顔として日常で活用されているのに対し、紋章はフォーマルな場や祝祭で旗やバナーとして使われることが多く感じます。これは、紋章が個人を示すのに対し、家紋は「家」を示し、商業へ転用されて発展をしたという歩みの違いからだと考えます。異なるデザインのスタンス家紋と紋章、それぞれの異なる文化的背景から、デザインのスタンスにその違いが見てとれます。例えば、イギリス王家の紋章と天皇家の家紋を比べると、その違いは一目瞭然です。イギリス王家の紋章は、厳格な様式に則った紋章一式(アチーブメント)といい、基本の盾に兜飾・兜・マント・標語などが盛り込まれている足し算のデザインです。一方の天皇家の十六八重表菊は非常にシンプル且つ抽象的な引き算のデザインです。(右):紋章の歴史:ヨーロッパの色彩とかたち ミシェル パトゥスロー (左):紋典 英一題ここには、西洋は写実的且つ立体的に描き情報を伝え、対して日本は情報を極限まで削ぎ、抽象化することで感覚的に伝えるというスタンスの違いがはっきりとみてとれます。また、根本的な精神に、西洋は騎士道という中世にかけてヨーロッパで芽生えた騎士の無私欲・慈愛・慈悲などのキリスト教の教えを守る為の規範・倫理があります。対して日本の家紋には神道に基づく有機・無機を問わず、自然物のすべてに魂・霊魂が宿っているという精霊信仰があり、それがモチーフを含めそれぞれスタンスに色濃く反映されているのでしょう。家紋と紋章のデザイン比較デザインの観点からは他にも、家紋と紋章とで興味深い対比があります。例えば、紋章の代表的なモチーフであるライオンと、家紋の代表的なモチーフである片喰(カタバミ)を比べてみます。ライオンは古代から「百獣の王」とされており、戦士たちに非常に人気のあるシンボルでした。一方、片喰は繁殖力の強い植物で、子孫繁栄の象徴として家紋に用いられてきました。動物をモチーフにすることが多い紋章に対し、家紋では植物をモチーフにすることが多いです。これは、「個」としての力を象徴する動物を重宝する一方、日本では全体の和とした意味や祈りを象徴する自然の恵みが重視されてきたことを示しています。(上):紋章の歴史:ヨーロッパの色彩とかたち ミシェル パトゥスロー (下):紋典 英一題他にも双方ともに幻獣をモチーフとしたものがあり、例えば紋章はケルト神話に登場するケンタウロスや西洋的な毒蛇を起源とするドラゴン、家紋は仏教由来の鳳凰や東洋的な川を起源とする龍など、信仰や宗教に由来する差があります。他にも、日常の道具のモチーフは馬具に対して、農民のクワなどの生活による差があります。また、共通点としては験担ぎや言葉遊びの紋が双方にあります。まさかりの紋を例にとると、まさかりは裏側の胴に三本の筋があり、表側に四本の筋がある為、「7つ目」「み(三)よ(四)け」と呼ばれ魔除けの意味があります。そして、紋章でも同様の言葉遊びはあり、イギリスのコーンウォール州の紋章は接頭子(日本語の「お〜」「ご〜」の様な頭につける語)のTre=3という意味をもじり、熊の足を3つ配置した紋章があるなど、家紋はもちろん紋章にも駄洒落の様な言葉遊びや験担ぎなどの遊び心に満ちたデザインも多くあるのです。家紋と紋章の未来紋章・家紋、双方の系譜を記述した中で伝えたいことは、家紋・紋章ともに自由であることです。もちろん天皇や王家の紋などは厳格な規律や様式は存在しますが、初期に厳しく管理をしていた紋章院があるのも現代ではイギリスのみで、世間のイメージである紋章は貴族以外に持てないというのは初期の段階でこそあったものの、その後は時代毎の規制はあるが、極端な規制が現代で続いているということはないのです。家紋と紋章、一定の様式(制約)は双方にありますが、架空の生き物、駄洒落、験担ぎ、職業などを題材に、自由に紋の表現を楽しんできたことが伺えます。家紋も紋章も大衆化により多様性とクリエイティビティが広がってきたのです。過去の文脈に敬意を払いながらも、新たな時代の要素を受容することで変容し、この先へ文化が繋がって行くことを願います。そして、のれんはそれを表現するメディアとして、共に自由に発展をして行きたい考えます。参考図書身体を彫る、世界を印す-イレズミ、タトゥーの人類学今日のトーテミズム/レヴィ=ストロース中世紀西洋衣服に現れた紋章について/丹沢 功紋章の歴史:ヨーロッパの色彩とかたち/ミシェル パトゥスロー紋章学辞典/森 護戦国武将旗指物大鑑/加藤 鐵雄家紋のすべてがわかる本/高澤 等紋の辞典/波戸場 承龍・耀鳳紋典 英一題中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。