家紋と西洋の紋章は異なる文化圏で発展してきましたが、その変遷や時代性、意匠に盛り込まれた遊びなど様々な共通点がありました。共に貴族文化から生まれ、戦場での識別印として広まり、大衆化した後は個や家の印として現代まで継承されています。ここでは、この「継承」の文化について考えていきます。「継承」の文化家紋を染め抜いたのれんを掲げる商店が時代を経るにつれて、のれんは店の広告から、店の「顔」=ブランドや信用を象徴する無形の価値となって行きました。現代でも使われる「のれん分け」という言葉も、店の継承やブランドを引き継ぐこととして使われています。また、紋章も同様に、代々継承される中で新たな情報が加えられ、その家や個人の歴史を示すシンボルとして受け継がれてきました。この「継承」の文化は、のれんや家紋・紋章にとって、とても重要な要素です。日本では一般的に創業100年を超えると「老舗」と呼ばれ、代々続く家や店を当たり前に目にします。しかし世界の国の歴史をみるとそれはあたり前ではなく、シンガポールは建国から59年、アメリカは248年、オランダでさえも415年(2024年時点)です。日本にはそれらの国々より長い歴史を持つ老舗が多く存在し、その代表とも言える和菓子の老舗「虎屋」は、室町時代後期から17代にわたって続いています。虎屋にとってのれんはその店の有り様を示す重要なもので、「のれんを見れば、その店がちゃんと理解できる、それがのれんというもの」という教えもあり、店の価値はのれんと共に継承されているのです。この様な「継承」の文化は、世界のさまざまな地域にも見られます。トーテムと継承の文化トーテミズムは、北米、オーストラリア、アフリカなどに深く根付いた「継承」の文化の一例です。トーテムは部族や集団、時には個人を象徴する動植物であり、紋章や家紋と同じようにアイデンティティを示す重要な識別記号として機能してきました。特に北米の先住民たちは、トーテムポールと呼ばれる彫刻を通じて先祖の意識や伝統を受け継ぎ、共有してきました。代表的な例として、カナダのハイダ族があります。彼らはワタリガラスやワシをトーテムとして掲げ、クマやシャチ、ビーバーなどを彫り込んだトーテムポールを家や墓に建て、そこに祖先の力や神聖さを込めました。ワタリガラスは、北米の口承神話において非常に神聖な生物として扱われており、太陽を盗んで世界に光をもたらした存在とされています。そのため、多くのトーテムポールの最上段にはこのワタリガラスが彫られ、守護者としての役割を果たしています。家紋が自然物をモチーフにしている点と、トーテムに込められたアニミズム的な信仰は、どちらも自然と人間の関わりを深く表現しており自然との距離の近さを物語っています。また、文化史家ホイジンガも『中世の秋』において、「紋章に対する中世の人々の思いは、トーテムが持つ価値と等しいものであった」と述べ、紋章とトーテムが持つ象徴的な力は、時代や場所を超えて共通するものであることが言えます。日本の老舗にとってののれんと、トーテムポールは同じくその文化における「継承」の象徴なのです。そして、トーテムポールも形骸化しつつありましたが、現代ではその価値が見直されています。図説世界文化史大系 第2 角川書店(左)太陽を盗んだ大ガラス (中)サンダーバード/インディアンでは雷鳴は雷の鳥のはばたきであり、また雷の鳥は人間の祖先が村を開いた時の保護者と考えられており、高尚な存在(右)熊と夫婦になったインディアン/熊の妻となったインディアンの女性の神話をもとにしている 引用元:図説世界文化史大系タ・モコと「継承」の文化次にニュージーランドのマオリ族のタ・モコを例に挙げます。タ・モコも単なる模様のタトゥーではなく、祖先から継承された「歴史」であり、代々のつながりを示す「生きた紋章」として継承をしてきました。顔や体に刻まれるタ・モコのデザインは、個の人生や部族の歴史、社会的な役割を表現し、特に顔に施されるものは神聖視されてきました。紋様では線を主に用いるのですが、この線は「マワナ=心」と呼び人生の歩みを表します。その中で、コルという丸まった芽が広がる様な線は家族や愛する人を表すなど、紋様に意味が込められています。伝統的なタ・モコは、それぞれの紋様を自分の先祖や出身部族の土地にある木の枝や土などを染料として使い、石や骨を用いて肌へ彫り込んでいました。タ・モコも歴史の流れの中で、植民地支配や移民らの影響によって消滅の危機に瀕しましたが、現代においては復興の兆しがあり、伝統的なマオリ族のルーツを守りながらも、グローバルタトゥーなどの他文化を取り入れ、他の社会と交わりながら新たなスタイルを取り入れています。そして、タ・モコはマオリ族のアイデンティティを世界へ発信する重要な手段となっています。引用元:ニュージーランド/宮田峯一 著 Turumakina | Ta Moko Artist現代における継承の意味紋、紋章、トーテム、タ・モコ――これらの文化が示すのは、紋が単なる意匠を超えた「継承」の象徴となっているということです。各々の文化が異なる紋で民族や家族、信仰、帰属意識を表し、未来へと伝えられてきました。これらの文化は、当初は規律の多い時代もありましたが、やがて大衆化して他の文化と交わりながら多様性を帯びていきました。そして、その精神は現代まで受け継がれてきたのです。現代では、伝統文化への意識が薄れつつありますが、一方で源流に立ち返り、文化の再評価が進む動きが世界であります。家紋や紋章が今尚続き暮らしに取り入れられている様に、トーテムやタ・モコが部族文化復興の象徴とされているように、自国の文化を未来へ繋いでいく為の手段として紋とそれを掲げる文化特有の媒体はとても尊いものです。技術発展により大きな時代の変換期であり、また更なるグローバル化が進む現代で、自分たちのルーツやアイデンティティを見直し、考えるとき、紋とのれんは帰属意識や誇りの拠り所となるのではないでしょうか。自由に、創造的に、家紋やのれんを通じて、過去と未来をつなぎ、自分たちのルーツを継承して行く。そんな社会となることを望みます。参考図書:参考図書身体を彫る、世界を印す-イレズミ、タトゥーの人類学今日のトーテミズム/レヴィ=ストロース中世紀西洋衣服に現れた紋章について/丹沢 功紋章の歴史:ヨーロッパの色彩とかたち/ミシェル パトゥスロー紋章学辞典/森 護戦国武将旗指物大鑑/加藤 鐵雄家紋のすべてがわかる本/高澤 等紋の辞典/波戸場 承龍・耀鳳紋典 英一題中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。