江戸時代、家紋を染め抜いたのれんを掲げる商店が増えるなかで、のれんは単なる広告幕から、店の信用やブランドを象徴する無形の価値へと昇華していきました。紋もまた、家や店の歴史を示す印として代々受け継がれてきました。「継承」の文化日本では創業100年を超えると「老舗」と呼ばれ、代々続く家や店は珍しくありません。しかし世界の歴史に目を向けると、それは決して当たり前ではありません。シンガポールの建国は60年、アメリカは249年、オランダでさえ416年(2025年時点)です。それらより長い歴史を持つ老舗が日本には数多く存在し、代表格である和菓子の「虎屋」は室町時代後期から17代にわたって続いています。虎屋には「のれんを見ればその店がちゃんと理解できる、それがのれんというもの」という教えが伝わり、店の価値はのれんとともに継承されてきました。のれんを継ぐとは、それそのものを受け取ることではなく、その店が積み上げてきた信用と誇りを受け取ることです。形は変わり、布は掛け替えられても、思いは続いていくのです。このような「継承」の文化は、世界のさまざまな地域にも見ることができます。トーテムと継承の文化北米・オーストラリア・アフリカに根付くトーテミズムは、「継承」の文化の代表的な例のひとつです。トーテムは部族や集団を象徴する動植物であり、紋章や家紋と同様にアイデンティティを示す識別記号として機能してきました。カナダのハイダ族は、ワタリガラスやワシをトーテムとして掲げ、クマ・シャチ・ビーバーなどを彫り込んだトーテムポールを家や墓に建て、そこに祖先の力と神聖さを込めました。北米の口承神話においてワタリガラスは太陽を盗んで世界に光をもたらした聖なる存在とされ、多くのトーテムポールの最上段に刻まれています。自然物をモチーフとし、精霊信仰を背景に持つ点は、日本の家紋と深く共鳴するものがあります。紋章・家紋・トーテムポール、それぞれ時代も場所も異なりながら、象徴に先祖の力や集団の記憶を託し、次代へと受け渡してきた点は共通しています。老舗にとってののれんと、ハイダ族にとってのトーテムポールは、それぞれの文化における「継承」の象徴として、同じ役割を担ってきたのです。トーテムポールもまた現代において形骸化の危機に瀕した時期がありましたが、近年は文化の復興とともに再評価が進んでいます。図説世界文化史大系 第2 角川書店(左)太陽を盗んだ大ガラス (中)サンダーバード/インディアンでは雷鳴は雷の鳥のはばたきであり、また雷の鳥は人間の祖先が村を開いた時の保護者と考えられており、高尚な存在(右)熊と夫婦になったインディアン/熊の妻となったインディアンの女性の神話をもとにしている 引用元:図説世界文化史大系タ・モコと「継承」の文化ニュージーランドのマオリ族に伝わるタ・モコは、身体に刻まれる「生きた紋章」です。顔や体に施される紋様は単なる装飾ではなく、祖先から継承された歴史であり、部族との繋がりを示す記録として機能してきました。タ・モコで主要な役割を果たす線は「マナワ(心)」と呼ばれ、人生の歩みを表します。コルと呼ばれる渦巻き状のシダの新芽をかたどった紋様は、成長・力・新生を象徴し、タ・モコにおいては愛する人や家族を表すとされています。これらの紋様はその人の祖先(ファカパパ)や社会的地位、人生の記録を可視化するものであり、かつては社会的ステータスや婚姻資格を示す重要な記号としても機能していました。伝統的なタ・モコは、クジラやアホウドリの骨を削って作った鑿で皮膚に溝を掘り、そこに木を燃やした煤を流し込む手法で施されていました。身体と素材と記憶が一体となった、まさに生きた文書といえます。1840年以降のイギリスによる植民地化と同化政策により、タ・モコの伝統は1970年頃までにほぼ失われてしまいます。しかし現代においては、マオリのアイデンティティを問い直す動きとともに復興の兆しが広がっています。伝統的な手法と精神を守りながらも、現代の文脈と交わりながら新たなスタイルを取り入れ、世界へと発信されています。他者の文化と交わりながら変容しつつも、失わないアイデンティティの核を持ち続けるタ・モコの現代的な展開は、継承の文化が生き続けるためのひとつの姿を示しています。引用元:ニュージーランド/宮田峯一 著 Turumakina | Ta Moko Artist現代における継承の意味家紋・紋章・トーテム・タ・モコ。これらはすべて、紋が単なる意匠を超えた「継承」の象徴であることを示しています。それぞれの文化が異なる紋で民族・家族・信仰・帰属を表し、未来へと伝えてきました。厳格な規律から始まり、大衆化を経て他の文化と交わりながら多様性を帯びていく過程もまた、共通しています。技術の急速な発展とグローバル化が進む現代において、自分たちのルーツやアイデンティティを問い直す動きが世界各地で起きています。家紋や紋章が暮らしに息づき、トーテムやタ・モコが民族文化復興の象徴となっているように、紋とそれを掲げる媒体は、帰属意識と誇りの拠り所として機能しています。のれんは、それを掲げる最も親和性の強い媒体です。布は替わっても意味は続く。形は移ろっても、込められた信用と誇りは受け渡されていく。過去の文脈に敬意を払いながら、自由に、創造的に、家紋とともに次代へとつながっていく、そのような文化にのれんの未来もあると考えます。参考図書:参考図書身体を彫る、世界を印す-イレズミ、タトゥーの人類学今日のトーテミズム/レヴィ=ストロース中世紀西洋衣服に現れた紋章について/丹沢 功紋章の歴史:ヨーロッパの色彩とかたち/ミシェル パトゥスロー紋章学辞典/森 護戦国武将旗指物大鑑/加藤 鐵雄家紋のすべてがわかる本/高澤 等紋の辞典/波戸場 承龍・耀鳳紋典 英一題中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。