日本の景観をつくっていたのれんは単なる屋外広告ではなく、日本の重要な文化です。これからの時代、のれんはどのように街や人々と関わっていくのでしょうか。近代から現代にかけての屋外広告の変遷をたどりながら、のれんと都市とのこれからの可能性を考えます。近代化による街とのれんの変化日本の屋外広告は室町時代後期から明治時代まではのれんと木看板が主でした。しかし、大正12年(1923年)の関東大震災をきっかけに、震災後に再建した都市では、防災対策も視野に入れた鉄筋コンクリート造(RC造)の建築が主流となり木造建築が減少し、これに伴いのれんが連なる景観は失われていきました。その後の第二次世界大戦を経た都市再建ではより一層進み、のれんや木看板といった屋外広告は別の媒体へと移り変わって行きました。次世代の看板としては、金属板に塗装をするホーロー看板(琺瑯看板)注2) が明治末期から昭和末期にかけて主流となりました。耐久性の高さや鮮やかな色彩から広く普及し、いまなお根強い愛好家も多い近代の広告です。ホーロー看板は牧歌的で、情緒ある広告として愛され続けています。それは戦時中でも、原材料の規制から戦争や政治のプロパガンダにあまり使われなかったことも影響しているのかもしれません。また、この看板に漂う懐かしさは、いまの日本の広告デザインの黎明期を物語っています。一つの転換点としてテレビの普及により有名人を起用した広告が増え、それまでの屋号や紋などから、視覚的に強い印象を残す広告手法へと移り変わる節目でもありました。引用元:ホーロー看板広告大図鑑一方で、明治時代以降にはネオンサインも普及し、街の夜景を彩る新たな広告文化として登場しました。1930年代には東京や大阪の繁華街が世界有数のネオン都市となり、戦後の経済成長とともにその存在感を増していき、特に銀座四丁目や大阪・道頓堀といった商業地は、ネオンサインが生み出す華やかな景観が生まれ、看板の大型化が進みました。このネオンサインについて、デザイナーの亀倉雄策さんは「欧米の都市ではビルの高さが一定にそろっているため、ネオンはビルの側面の壁を利用して作られるが、日本ではビルの高さがまちまちで 「のこぎりの歯」のようなので、屋上にネオンの塔を建てることができ、立体的な効果をドラマチックに計算してデザインされている」と述べこの日本独自の景観広告は当時世界のクリエイターからも注目されていたことが伺えます。引用元:読売新聞オンライン(左・中)/1950年代の東京に街に輝くネオン。これらの近代の屋外広告も時代を映す景観をつくっており、私自身もホーロー看板の寂びた味わい、昭和レトロのデザインは心惹かれ、ネオンサインが輝く夜景を見ると高揚を覚え、近代の屋外広告はとても好ましく感じます。しかし、これらが日本を示す文化かというと、工業・商業的な側面が強く、のれんほど日本の文化と深く結びついたものではないのです。デジタル化が進む屋外広告と都市景観その後の現代では大きな技術発展により屋外広告はさらに多様化しています。雑居ビルに所狭ましと並ぶ電飾看板から、巨大なLEDディスプレイや3Dの立体看板、ビルの壁一面を覆うデジタルサイネージなど、技術の進歩とともに広告の表現方法も大きく変わりました。これらは現代の情報や店の移り変わりの早さに合わせた、普遍的な情報を発信する屋外広告となり、どこかその都市特有の情緒は薄れています。そしてこれは、日本に限ったことではなく、中国をはじめ、アジアなどの都市部でも同様のことが言え、都市景観の均質化が進行しています。例えば、かつて看板やネオンが街を彩っていた香港でもその数は大きく減少し、画一的な都市風景へと変わりつつあります。しかし、一方でヨーロッパの都市は震災も少なく歴史的建造物が多く残ることから、今尚独自の景観が保たれています。例えばフランス・パリでは景観保全委員会が厳格な規制を敷き、建物の外観や看板の設置に関する審査を行っており、また市民もその意識は強くあります。実際に和菓子の老舗である虎屋さんがパリに出店をする際に、のれんを掲げることが景観を崩す可能性があると指摘をされました。しかし、のれん文化について丁寧に説明をすると、のれんは受け入れられて晴れて掲げることができるという逸話があります。この辺りの景観の保全と他文化への敬意は見習うべき点があると感じます。(左・中):2025年にパリのカルナヴァレ博物館を訪問した際の写真。趣向を凝らした看板が並んでいる。当時の店の顔であった。(右):引用元:株式会社虎屋文化に紐づいた各国の景観広告として、中国の「招牌(ショウハイ)」は漢字との関わりの強さや古来は権力の象徴、また伝統的な縁起が組み込まれています。ヨーロッパの鉄製の吊り看板はヨーロッパの重要なアイデンティティである職人技術を示すものでした。これらはその文化の重要な思想を深く反映しており、日本でいうのれんに相当すると考えます。画一化しつつある街で、自国のアイデンティティを示すそれぞれの国の「のれん」が持つ独自性は、そうした流れの中で都市の個性を際立たせる要素になり得ると考えます。一層の国際化が進むこれからの社会に於いて、改めて景観広告のあり方について考える必要が迫っているのではないでしょうか。 これから都市にのれんをデザインすること現在、日本の都市は日々再開発が進み、街の景観は次第に画一化されつつあります。その中で、のれんは広告に止まらず、日本の文化を示すものとして、またそれが連なることで日本独自の景観づくりとしての役割を果たせるのではないでしょうか。のれんは、老舗や商店のプライドを示すだけでなく、人々が触れ、くぐるという身体的な所作を伴いながら、空間を柔らかく仕切るという機能も持っています。クリエイターがデザインするメディアとしてのれんほど日本らしいものはなく、地域性、歴史、粋などの文化の特色を表現する力を持っています。そして、都市の個性を際立たせる可能性を秘めています。以前に、日本橋で開催したデザインイベントの「めぐるのれん展」でプロジェクトを共にした敬愛するクリエイターのつぶやいた、「日本のデザイナーはのれんをデザインしたことないと遅れてると思われる様にしたいよね」とこぼされたことは今でも心に残っています。日本のクリエイターにとってのれんをデザインすることはクールなこととなり、各々のデザインする多様なのれんが再び街を彩り、それをきっかけに日本の文化の核心、その価値が世界に発信されて行くことで、新たな日本らしい景観と繋がりが生まれて行くと考えます。2019年に開催したデザインイベント「めぐるのれん展」。日本橋の企業31社が自社を表現する各々ののれん作品を掲出した。自由で豊かな作品が連なり、賑わいを感じるイベントとなった。注1)ネオンサイン:細長いガラス管にガスを封入し、電流を流して放電させることで発光させた看板。1912年にフランスで生まれ、大正時代に日本でも扱われ始め、昭和30年代には銀座や大阪の繁華街を彩っていた。注2)ホーロー(琺瑯)看板:金属の地に釉薬を塗り焼成し焼きあげ強度をあげた看板。明治期から昭和の末期まで主流の看板であったが、商品サイクルの短期化や店舗の大規模による需要縮小によりアルミやステンレス製の看板へと移り変わりにより終焉を迎えた。参考図書:日本広告千年史日本屋外広告史世界の広告史アドミュージアム東京 AD・STUDIES土地総合研究 2008年春看板ものと人間の文化史ホーロー看板広告大図鑑西洋の看板 : サイン・シンボル・フォーム江戸の看板 松宮三郎中国古代絵画にみられる広告の様態江戸期の広告 広告「文化誌」守貞漫稿京雀幕末明治の引札と画入り暦