江戸時代、木綿と藍染めの普及とともに日本の経済は発展し、のれんも店の顔として深く暮らしに根づいていきました。その文化は現代でも、藍色ののれんが街で風になびく光景に見ることができます。一方で技術革新が著しい現代、紺屋はどの様に在り、またのれんはどのような製法でつくられているのでしょうか。 藍から歩んだ染色の変遷江戸時代、日本の藍染めは天然の藍葉を発酵させた「蒅(すくも)」から染料をつくる「灰汁発酵建て」という技法が大きく発展し、のれんや衣類から日用品に至るまで、暮らしのあらゆる布を深い青に染めてきました。しかし、19世紀末にドイツで開発された人工の合成藍(インディゴ)の登場により世界で藍染めの状況が大きく変わります。加えて明治20年頃には化学染料が日本にも本格的に輸入されるようになり、「色をつくる」ことが容易になっていきました。これにより天然染料は急速に姿を消し、日本の暮らしを染めていた紺屋の多くは廃業して行きました。その後、戦後の高度経済成長とともに染色の世界でも工業化が進み、一度に大量の布を染め上げることのできる大規模な工場が台頭。さらに21世紀に入り、インクジェットや昇華転写 注1) といったデジタル染色技術も登場し、染めの世界は一新されていきました。現在、天然染料による染色は市場全体ではごくわずかとなり、その多くは染織作家や小規模工房による制作に限られ、藍においても流通のほとんどが合成藍となり、灰汁発酵建てによる藍染めもごく少数となりました。しかし、藍色に染めたのれんの文化は今も息づいており、製法は変わっても、その存在は日本の紺屋文化を継承しているのです。 現代ののれんに息づく技法衣類やインテリアを中心とした染色産業全体としては、その多くが大量産品を前提とした技法に置き換わっていますが、のれんに於いては、伝統技法と現代技術が混在しています。これは、のれんが現代で扱われる一番の需要が店の顔や空間の間仕切りであり、多くが誂え=オーダーメイドであるため、既製品や量産品とは異なり、一点一点の手仕事による製作が今も必要とされているからです。街の店舗で実際に目にするのれんには、化学染料を用いながらも「印(しるし)染め」 注2) などの伝統的な手仕事で染められているものが多くあります。この「印染め」と呼ばれる伝統技法は、生地の裏側までしっかりと染料が浸透するため、のれんのように両面から見られる布にとって非常に理にかなった製法です。通常の衣服では表側だけで充分ですが、のれんはこの“裏からみても美しい”という点が重要になるのです。このように、紺屋という存在は、時代の移ろいとともにその形を変えながら、染めの担い手として現代にも生き続けているのです。中むらのショールームに掲出しているのれん。写真左)左は伝統的な印染め、右はデジタル染色の昇華転写 Desgin/波戸場承龍 写真右)のれんを支持体にインクジェットで染めた絵画のれん Desgin/大小島真木また、のれんの製法はデジタル染色においても機械任せではありません。たとえば両面に柄を合わせて染めるには、熟練した職人の表と裏とを手作業で合わせて染める技術が求められます。安価で広く流通している小型ののれんは量産製作されている側面もありますが、店ごとに誂えるのれんにはしっかりとした職人の技が息づいており、これもまた紺屋文化と地続きなのです。こうした工程には現代的な「工芸」の手仕事でつくられており、伝統と現代とが共存することで現代ののれん制作は成り立っているのです。“工芸”という価値の現在地のれん文化を構成するものに、いくつかの大きな要素があります。それは、空間を仕切る「間」の文化、店の「顔」となる文化、そして藍染めに代表される「工芸」の文化です。 日本で日常的に目にすることも多いこの「工芸」という言葉ですが、実はその意味を明確に答えられる人は稀です。この「工芸」という言葉自体は古典にも見られますが、今のように手仕事や職人技術を文化的・美的価値として捉える意味として定着したのは、明治以降のことで近代からなのです。それ以前の日本では「百工(ひゃっこう)」や「手業」という言葉で、さまざまな職人のものづくりを総称して呼んでいました。それは、現代の様に経済が発達していない江戸時代以前では、糸を紡ぐこと、布を織ること、染め型を彫る 注3)こと、それらを手仕事で行うことは当たり前のことであり、特別なものではなかった為です。写真右)伊勢型紙を彫る光景 写真中)江戸小紋ののりおき 写真左)藍の染め液をつくる藍瓶 これらは江戸時代ではあたり前の光景であった。この言葉がうまれた背景には、明治以降の経済発展が一気に進んだことが大きな要因です。近代化に伴い、人々の暮らししは文明の恩恵を受けて豊かになる一方、工業化により「もの」や「文化」の画一化への危機感を感じる様になり、日本の手仕事や美術的な価値を持つものづくりと工業製品との区別を作ろうという運動が起こり、工芸という概念が生まれました。つまり、工芸とは「伝統」そのものというよりも、時代のなかで対置されて定義された価値観であり、西洋画が輸入されたことで「日本固有のもの」として位置づけ直す必要があった日本画などと同様に、そのときの文化との対比のなかで生まれた言葉なのです。この視点で考えると、工芸とは旧来の技法などに固執するものではなく、相対的なものであり、現代の技術や表現を含んだ手仕事であるべきだと考えます。旧来のものは「伝統」工芸と定義し、例えば職人が一枚一枚表裏を合わせて染め上げるデジタルの染色も現代の工芸であり、またそれは100年後には「伝統工芸」と呼ばれているのかもしれません。ただ、その中で重要なことは、私は職人の研鑽の上に成り立つ「技」と、美しいものを生み出そうと一心に励む「精神」が合わさる「手仕事」がその根本に不可欠だと考えています。手仕事の多様性とその価値かつて、藍は染めることで布が堅牢になり、防虫性や耐火性も高まるという「実用的」な染色でした。近代では化学染料が開発されたことでそれまで貴重であった「色」が大衆化されて色彩が開放されました。現代ではデジタル技術の発展により「自由」に文様や意匠を扱える様になりました。紺屋からはじまったのれんの染色は、時代を経た地続きの上でさまざまな表現を可能にしてきたのです。 染色が多様化した現代ですが、その価値は相対的です。例えば、堅牢度などの機能は藍染めに比べて化学染料やデジタル染色が優れています。しかし、藍の色には、心を打つ美しさがあり、それは他の草木や鉱物などの自然の染料も同様です。美しい藍の褪色、不均一のなかで安心感を感じるにじみ、感情にやさしく働く色味…完璧ではないその表情の中に、人の手が生む「揺らぎ」が在り、実際に見て、触れるとその違いは一目瞭然です。一方で、デジタル染色にも、豊かなデザイン表現、コスト面での優位性、さらには環境負荷の低減といった価値が備わっています。それまでは一部の富裕層しか持つことを許されなかった華やかな色彩や、手仕事は表現不可能な複雑な意匠を手にすることが叶いました。また、染色には大量の水が必要であり、化学染料は環境問題と向き合わなければなりません。しかし、デジタル染色には従来の染色には必要不可欠な洗い 注4) の工程が不要、つまり水を必要としないものもあり、環境配慮の面で自然に優しい工法という側面もあります。中むらののれんショールーム。多様な技術で染めたのれんが飾られている。私にとって工芸の価値とは、固定されたものではなく、見る人・使う人・つくる人、それぞれの視点によって、相対的に変わるものだと考えます。伝統技法や素材、現代の技術、それぞれの美しさがあり、双方があるからこそ、お互いの存在がより際立ちます。そんな多様な手仕事のあり方を、のれんを通じて、少しでも感じてもらえたなら紺屋の文化はこの先へと繋がって行くのではないかと考えます。注1) 昇華転写:ポリエステル生地を転写紙と重ね、熱と圧力で染める技法注2) 印(しるし)染め:大きく家紋を染め抜くなど、のれんを染める主な技法。注3) 型を彫る: 伝統的な染め型は小刀で固めた和紙を「彫って」つくります。注4) 洗い:染色の最終工程である「洗い」は、余分な染料や糊を落とし、色を定着させるために行われます。かつて日本各地の染物産地では、豊かな水量と清らかな流れを持つ川が不可欠とされ、川沿いに紺屋が集まる光景が日常でした。■参考図書・論文天半藍色 : 三木300年のあゆみ日本古代の色彩と染め木綿以前苧麻・絹・木綿の社会史世界のインディゴ染め藍 INDIGO阿波藍と三木文庫悪魔の染料:インディゴが変えた世界染色技法書を通してみた江戸時代の色彩に関する研究中国の民間工芸世界から見た日本の青。浮世絵・フェルメール・ゴッホなんで人は青をつくったの?日本の色のルーツを探して色彩の宇宙誌オキサトさんにきこう