日本では、商いの中で培われた信用や信頼といった無形の価値を「のれん」と呼び、会計用語の「Goodwill」に訳されてきました。一方、このGoodwillは西洋で発展した概念であり、無形資産としての扱いは共通するものの、その背景には異なる文化や価値観が横たわっています。のれんとGoodwillという二つを比較していきます。 Goodwillの由来とその概念近代的な法概念としてのGoodwillは、イギリスで最も早く確立されました。その語源は、文字どおり「好意」や「厚意」を意味し、もともとは商いの成功が顧客からの信頼や良好な関係に支えられているという考えに由来していました。このGoodwillという概念は、いまでも会計上は定義されているものの、その実質的な中身は未だに議論の余地がある概念です。その起源として多く引用されるのが、大法官の1810年にエルドン卿が下した判決です。この裁判では馬車運送業の営業が譲渡された際、「特定の場所で営業を続けることで、お客様が繰り返し訪れるようになる習慣性」に価値があるとされました。つまり、Goodwillとは営業活動を通じて蓄積された顧客との関係性に基づく無形の資産とみなされたのです。一方で、日本の「のれん」は、店や企業が長い年月をかけて築き上げてきた信用や格式を象徴するものであり、商業文化の中で独自に発展してきた概念です。特に老舗と呼ばれる商家では、屋号や家風、経営理念といった精神的価値が深く結びついており、のれんには「家」や「人」の営みそのものが込められてきました。こうした比較から、Goodwillには外部から与えられる「好意」や「信頼」といった受動的な性格がある一方で、日本ののれんには、商いの主体が自ら築いた信用を象徴する、より能動的な意味合いが含まれているということが見られます。そして、現代のグローバル社会ではその解釈の範囲は拡大しており、Goodwillとのれんはいずれも無形資産として共通の枠組みで捉えられるようになってきました。ただし、その根本的な背景には各々の文化が育んできた商業観や文化的価値観の違いが存在しており、それは両者の概念の根底に色濃く残っていると考えられます。 ヨーロッパの看板とのれんの比較日本では、屋外広告の「のれん」がGoodwillを訳すことばとなりました。では、その概念が生まれたイギリスで、のれんに相当する屋外広告の吊り看板とGoodwillとではどのような関係性だったのでしょうか。[#3 のれんと景観広告]でも触れたように、イギリスをはじめとするヨーロッパでは産業革命期に商業活動が活発化し、広告の需要も高まっていきました。その中で、直感的に情報を伝えるために吊り看板が普及し、なかでも鉄製の看板は職人の鍛冶技術を示すものとして、多くの店舗の軒先に掲出されました。しかし、その変遷はのれんとは少し異なります。のれんは普及するにつれて、屋号や家紋を染め抜き、「家」の価値を示したのに対し、ヨーロッパの鉄看板は、葡萄の葉、はさみといった業種や扱う商品を象徴する図像が多くありました。これはのれんの黎明期である室町時代と同様で、視覚的わかりやすさが重視された為です。しかし、そこから「家紋」の様なシンボルへ進まず、現代まで同様の業種を示すものが持ちられています。これは、イギリスでは家紋に相当する紋章が主に貴族に許されていたこともあり、商店では「家」の象徴としてのサインが制度的には成立しづらかったのではないかと考えます。そのため、看板自体に対して誇りや親しみを感じていた店主は多くいたであろうとは推察され、現代では多様な看板があるものの、日本における「のれん」の様に、それ自体が無形の価値や継承の象徴として、制度化されることはなかったもではないかと考えます。(写真)パリ・カルナヴァレ博物館の看板だけを集めた展示室。この背景には、制度と共に商いに対する文化の違いもあると考えます。当初の日本では、商売は「家業」として継承され、積み重ねた信用や歴史の証として「家紋」や「のれん」で受け継がれてきました。その為、家紋やのれんは単なるサインや布ではなく、「家」を示す象徴として、社会制度的にも、精神的にも大きな意味がありました。しかし、一方でイギリスを始めとした西洋では個人主義と市場原理が早くから根づき、商店は「家」や「縁故」とは切り離された、契約や資本で「流通」する財産という色が強くありました。「商いは売買可能なもの」という考え方が早期からあり、その中でGoodwillという概念も逸早く生まれたのだと考えます。その為、看板は顧客へ情報を伝える視覚的な装置という色が強く、信頼や歴史を内包する「のれん」とは異なる変遷を辿りました。このように日本の「のれん」と「Goodwill」では根源的に商いに込められた意味の在り方に、文化的なちがいが存在していたことが見えてきます。中国の扁額ヨーロッパにおける吊り看板は、職人技や業種を示す視覚的サインとして機能してきましたが、精神的な意味合いを強く、深くもつほどではありませんでした。では、より文化的に親和性のある中国において、「のれん」に相当するものは存在したのでしょうか。中国では、店頭に掲げる屋外広告を総称して「招牌(しょうはい)」と呼びます。この中には、縦型の木製看板である「招牌」、商品の模型や装飾の「幌子(こうし)」、そして最も「のれん」に近い装飾のない平たい文字の「扁額(へんがく)」が含まれます。この「扁額」は、「のれん」と機能的、精神的に類似性を持つ存在なのです。扁額とは、木の札をかかげてその家の名称を標示することを意味する言葉で、宮殿の門や店頭の上部に掲げられた水平な文字看板を指し、その起源は漢代にまで遡ります。当初は官庁などの建造物の名称を表示するもので、篆書体(てんしょたい)や隷書体(れいしょたい)で記され、文字は大きく、線が太く、逞しく記されました。写真:避暑山荘。西暦1790年に作られた清朝時代の離宮 引用元/https://www.yunphoto.net/jp/photobase/yp10421.html時代が下るにつれて、扁額に用いられる文字は意匠性を帯び、単なるサインではなく、家や商号の精神を象徴するようになっていきます。このように、具体から象徴へと意味が深化する過程は、日本における家紋の変遷と類似する点があります。清代以降の商家では、歴代の当主が自らの信条や経営理念を四字熟語や詩句に託して扁額に刻み、それを店頭に掲げる習慣が定着しました。これは、単なる広告ではなく、その店の歴史・哲学・品格を示す象徴として在りました。この点においても、のれんと扁額は異なる素材や形式ではありながら、精神性を示すという点でとても近しいものがあります。ただ、扁額は一般庶民の商店まで広く普及したとは言い難く、一定以上の地位や格式をもつ商家・書院・寺院などに限られた使用例が多く、暮らしで広く普及はしませんでした。その点では、庶民の間で広く浸透し、普及・進化したのれんとは異なり、のれん分けなどの制度としても発展した日本ののれん文化とは大きな差異があると言えます。また、中国において「Goodwill」に相当する会計用語は「商誉(シャンイー)」といいます。これは「商売上の名誉」を意味し、Goodwill同様の無形資産を表すことばです。しかし、「商誉」は扁額や招牌といった文化から生まれた言葉ではなく、直接的な言葉です。この様に、中国には「扁額」という、のれんと共通する精神性を帯びた文化は存在したものの、それが日本の「のれん」のように、「無形資産」を象徴する言葉として定着せず、一部の限られた層の文化でした。こうした点からも、庶民全体へ浸透し、「のれん」という言葉が持つ日本固有の重層性と特異性が一層際立って見えてきます。■参考図書・論文三井高利と越後屋日本商業史フランスにおけるのれん概念と欧州の会計調和化会計用語としてののれんの概念について江戸時代の商業序論わが国におけるのれん会計の背景英米、法におけるグッドワイルの概念について商標の譲渡とグッドウィル英米法におけるグッドワイルの概念について英国におけるのれん概念の変化に関する史的考察グッドウィルの研究扁額集中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。