店先に掲げられるものとは少し異なる「花嫁のれん」と「花のれん」は、人生の節目に現れる特別なのれんです。婚姻の日や役者としての立場を得たときに、これらののれんが掲げられます。そこに、共通して添えられる言葉が「花」です。この言葉には、日本文化において重要な意味が込められており、それは日本の「時間」の捉え方を象徴します。 「花」ということば日本における「花」ということばは、植物を指すだけでなく、心の機微や時のうつろいを表現します。たとえば、「花が咲く」には会話の盛り上がる様が、「花が散る」には別れや喪失が生じたときの意味が込められています。こうした言葉の背後には、日本人の自然観と「ものごとは常に変化をする」という無常観、そしてその儚さに美を見出す意識があります。これは、地震や台風、火山噴火などの災害の多い風土で自然の脅威と共に生きる中で、人びとは自然を畏れ、かたちあるものはいつか失われるという感覚の中で暮らしてきたからです。そのような暮らし中で、「花」は一瞬の輝きと散りゆく様が、日本的な生や時間を象徴しているのです。 この「花」への価値観は、日本の芸能や芸術の世界においても、重要な意味を持ちます。室町時代に能を大成させた世阿弥は、その芸の粋をまとめた『風姿花伝』の中で、「花」という言葉を繰り返し用いました。世阿弥にとっての「花」とは、若さがもたらす一時的な華やかさ、いわゆる“時分の花”ではなく、年齢や季節などの移ろいの中に生まれる姿こそが真の花であり、美の本質だと説いています。また、自然の花を「生ける」ことで美を表現する華道もまた、同じ思想を持っています。華道は、阿弥の号を名乗る同朋衆 ※注1)による「立花(たてはな)」から始まり、江戸時代には武家や町人にも広く伝わりました。一瞬の華美な華やかさのみではなく、つぼみの初々しさや、萎れゆく花の寂びといった時のうつろいに美を見出します。華道における「花」もまた、変化と無常観の精神性をうつしています。このように「花」は、日本文化においては移ろう時間や美を象徴する存在なのです。花の名が付く「花のれん」や「花嫁のれん」もまた、人生の節目において次なる段階へと送り出すための通過儀礼としての意味を持ちます。花嫁のれん – 婚礼の儀式としてののれん「花嫁のれん」とは、石川県の能登・加賀・越中地方に伝わる婚礼文化のひとつであり、特に加賀藩領に属した奥能登を除く地域で幕末から明治期にかけて広まったとされます。その名の通り、花嫁が嫁ぐ日に嫁ぎ先の仏間に掛けられる華やかなのれんであり、婚礼儀式の中でも重要な役割を担うものです。この風習が根付いたのは加賀地方のみであり、先祖信仰が篤く、多くの家に仏間を備えていた土地柄がその背景にあると考えられます。婚礼当日、嫁ぎ先に到着した花嫁は「水合わせの儀」を行います。これは生家と婚家の水をひとつの盃に注ぎ、それを土間に叩きつけて割ることで、二つの家が結びついたこと、そして二度と生家へ戻らぬ決意を改めて示すのです。そして、花嫁のみが仏間に掲げられたのれんをくぐり先祖に挨拶を行います。この一連の儀式には、嫁入りという人生の転換点と「生家を後にする」決意が込められており、のれんをくぐる行為は、精神的な境界を越える儀礼でもあるのです。引用元:ななおなかのと観光ナビ https://kankou.nn-dmo.or.jp/post_category/hanayomenoren/花嫁のれんもまた庶民の暮らしの中で育まれた文化であり、厳格な形式は存在しません。その為、それぞれの家が思い思いの幸せを願うのれんを誂えました。多くは生家の家紋を染め抜き、鶴や熨斗、松竹梅などの吉祥文様をあしらい、華やかな赤などの色彩に染め上げられます。その染色技法には、地域の伝統工芸である加賀友禅が用いられ、加賀藩が育んだ工芸文化の流れも汲んでいます。現代ではその文化も薄れつつありますが、かたちを少し変えながら、地域の婚礼の儀式のなかでいまも息づいています。 花のれん - 芸道で一人前の証としてののれん一方の「花のれん」は、現在では「楽屋のれん」とも呼ばれ、芸能の世界で役者が楽屋の入口に掲げるのれんのことを言います。歌舞伎座などでは、公演中の楽屋通路を覗けば、色とりどりののれんがずらりと並び、華やかな景色をつくり出しています。起源は江戸時代に観客からの祝儀を「花」と呼んだことに由来し、「花のれん」もまた、舞台の“華”である役者に贈られるものでした。当初は文字だけの簡素なものでしたが、時を経て次第に華やかさを増し、現代の様な絵画的な意匠へと発展していきました。戦前の歌舞伎界の楽屋では主に座頭(公演の主役格)に贈られ、これは脇を支える役者がかけることに配慮があったようです。現代においても、その本質は変わらず、楽屋のれんを掛けるには個別の楽屋が与えられることが前提とされ、つまり楽屋のれんを掲げるということは、重要な役を任されたという証でもあるのです。 引用元:江戸風俗屋史楽屋のれんには一定の様式があります。多くは、右上に楽屋主である役者の名前や屋号、中央に家紋や象徴的な意匠が入り、左下に贔屓、また贈り主の名前や所属団体名を染め抜くのが一般的です。他にも右上に熨斗(のし)を配し、左上に楽屋主、右下に贈り主の名を入れる形式も、特に昭和期に見られます。贈り主は、贔屓(ファン)からの贈答が中心ですが、現代の舞台などでは、監督や脚本家、芸能の先輩や仲間からも贈られることも多く、楽屋のれんを通じた意思の疎通があるのです。 こののれんを受け取った役者は、ただ装飾を得るだけでなく、そこに込められた思いや期待を背負い、舞台へと向かいます。楽屋のれんを贈られることは、役者として一人前と認められたことを示す証です。現代でも公演に臨むにあたり、楽屋のれんを受け取ることは役者にとって大きな励みとなっているのです。 のれんと時の概念花嫁のれんも花のれんも、店先に掛けられる顔としてののれんとは異なり、花嫁にとっては「覚悟」、役者にとっては「証」、いずれも特定の時間を区切り、次の段階へと進むための儀礼や象徴としてののれんです。この様にのれんは空間を間仕切る境界という文化の他に、「時間を仕切る境界」という文化も併せ持ちます。西洋のように記念碑や建築によって永続を示す文化とは異なり、日本ではその瞬間を重視する刹那のときを重んじ、その中に美や意味を見出してきました。この時間に対する考え方は、日本文化を紐解く上で非常に重要な要素なのです。■参考図書・論文なるほど・ザ・歌舞伎咲大夫まかり通る千夜千冊/松岡正剛茶の本/岡倉天心負ける建築/隈研吾取材協力:鳥居醤油 鳥居正子様中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。