日本は芸能や美術において、移ろいゆく儚さのなかにこそ生命の輝きを見出し、その美しさを「花」になぞらえてきました。しかし、この「花」に付随する時間の感覚は、他の文化圏ではどのように捉えられているのでしょうか。文化の対照を通じて、のれんに宿る時間の感覚を考えます。花に込められた意味の違い「花」は世界中の文化で重要な意味を持ちますが、その性格は文化圏によって異なります。西洋において花は、古代ギリシャ時代の神話やキリスト教文化と結びつき、普遍的な価値を象徴するものとして扱われてきました。たとえばバラは愛、百合は純潔というように、花はそれ自体が固定された意味を持つ象徴として、絵画や建築、儀式の中に繰り返し用いられています。中世ヨーロッパの教会装飾や宗教画に描かれる花々もまた、比喩的な意味を示す記号として描かれていました。中国では、「華」という字は花が咲き誇る様子から転じて、文化や文明が成熟した状態を意味する言葉として用いられてきました。「中華」という言葉には、世界の中心にある文明国という自負が込められており、「花」は栄華や秩序、成熟した文化の象徴として扱われています。一方、日本において花は、完成された姿そのものよりも、変化の途中にこそ価値があると考えられてきました。つぼみの初々しさ、満開の華やかさ、散り際の儚さ、さらには枯れゆく姿にまで美を見出します。西洋にもヴァニタスの様に「儚さ」に類する視点は存在しますが、日本のように移ろいそのものを積極的に愛でる感覚というよりは、永遠なる存在に対する人間の有限さを示す寓意などとして表現されることが多くあります。日本において「花」は、固定された象徴ではなく、移ろいゆく時間そのものを映す存在です。この価値観の違いは、それぞれの文化が持つ「時」の捉え方の違いを映し出しています。(左):受胎告知の天使 引用元PHP研究所 (右)華表:中国の伝統建築様式に用いられる標柱で日本でいう鳥居の様なもの。「変わらないもの」と「変わるもの」西洋美術において、「変わらないこと」は重要な哲学のひとつです。彫刻や建築、絵画はいずれも、時間の経過に耐えうる素材でつくられ、完成された姿を保持することが価値とされてきました。大理石の彫像や石造建築は、自然に抗い、固定し、永続することを目指しています。そこには、宗教的な時間観も関係していると考えます。世界は創造から終末へと向かう一方向の流れとして捉えられ、変わらないものであり続けることに重きが置かれました。一方、日本の芸術文化では、変わらないことよりも、変わり続けることが前提とされてきました。木造建築は脆く壊れやすい反面、建て直すことを前提に発展しました。茶の湯はその場限りの一期一会によって成立してきました。つまり、日本における時間は、直線的に進むというよりも、四季や年中行事のように循環しながら巡っていく感覚に近くあるのです。この時間への価値観の対照は、西洋美術が時間に抗い固定しようとする「パーマネント(永続)」に対し、日本文化は脆さや移ろいを受け入れながら、その変化の中に美を見出す「フラジャイル(儚さ)」の文化であるともいえます。引用:アドマーニ(左)https://www.adomani-italia.com/ 高井潔(右)「持続」に対するスタンスこの文化の対照性は、ものを持続させる考え方にも現れています。西洋では、傷んだものを元の姿に戻す「修復(レストレーション)」が重視されます。ルーヴル美術館の絵画修復や、ヴェルサイユ宮殿の保存事業のように、劣化した箇所を補修しながら、可能な限りオリジナルの状態を維持し続けることが文化として組み込まれています。それに対し、日本では伊勢神宮の式年遷宮に見られるように、20年ごとに社殿を建て替えることで、その存在を持続させてきました。そこでは建物そのものを保存するのではなく、「建て替える」という行為を通して技術や精神を継承しています。金継ぎもまた象徴的であり、割れた器を元通りに隠すのではなく、金で継いだ痕跡そのものを新たな美として受け入れる。変化を否定するのではなく、時間を経ることに価値を見出す寂びはその根本にあります。つまり、西洋が「形」を守ることで価値を持続させる文化であるのに対し、日本は形が変わっても「意味」が続くことを重視してきた文化だといえます。飛鳥時代から続く遷宮。20年に一度社殿を建て替える。引用:遠石八幡宮(左) せんぐう館(右)のれんを潜ることのれんは布という、決して強い素材ではありません。風に揺れ、人の手に触れ、雨や日差しによって少しずつ褪せ、やがて掛け替えられていきます。石碑やモニュメントのように永続性は前提としていないのです。しかし一方で、老舗ののれん、花嫁のれん、楽屋のれんは、物質としての布が失われても、その意味は人々の中で持続していきます。店にとって「のれんを継ぐ」とは、同じ布を残すことではなく、信用や理念を受け継ぐことです。花嫁のれんは、人生の境界を越える儀式として心に残り続け、楽屋のれんは、役者として芸の道を歩む証として受け継がれていきます。つまり、のれんは形を固定することで存続するのではなく、掲げ、潜ることによって、その意味が持続していく文化であり、日本らしい時間感覚があります。花が散ることが「花」であり続けるように、のれんもまた、掛け替えられることで、のれんであり続けるのです。■参考図書・論文なるほど・ザ・歌舞伎咲大夫まかり通る千夜千冊/松岡正剛茶の本/岡倉天心負ける建築/隈研吾取材協力:鳥居醤油 鳥居正子様中村 新1986年東京生まれ。有限会社中むら代表取締役。 大正12年から平成17年まで着物のメンテナンス等を請負っていた家業の中むらを再稼働し、平成27年よりのれん事業を開始。日本の工芸や手工業の新たな価値づくりに挑戦しており、職人やクリエイターとともにのれんをつくるディレクターとして活動。